民意は合理的でない

他人(ヒト)を見て、「なんてバカなんだろう」と思うことがないだろうか?
その次に「○○すれば、良いのに」という言葉が出てくる。

実は、それは、自分への跳ね返りである可能性が高い。
人(ヒト)は思考するが、その時々の条件によって判断を変える。
また、それは、前後で考えている事と矛盾するような結論であったりもする。
そう、自分も含めたヒトの考え・判断とは、それほど合理的ではなく、自己矛盾を含み、多面的である。
実際に、そのヒトの状況になると、「バカだ」と考えていた行動を起こしてしまう可能性がある。

一個人における思考ですら、そのような相矛盾するような結論を生む「二重思考」があるのだから、その個人の集まりである集団では、更に、混沌とした状況になる。
それは「民意」と呼ばれたりするモノであるが、民意が「合理的」である可能性は非常に低いのではないだろうか?

多くの人が望む事を実現するという意味で「民意」は重要であると考えてしまうが、その「望む事」の裏に潜む事実や条件をどこまで合理的に判断して「望んでいる」のだろうか?

「個人が合理的でない」、また「民意も合理的でない可能性がある」という事実を踏まえた上で社会がどのようにあるべきか考えると、より多くの人を幸福にする手法として、民意に依存する民主主義が本当に適切かどうか、分からなくなってしまう。